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佛嚴寺の歴史
初代上田石見守は佐々木京極家の嫡流にして、本願寺直参の武士であったと言われています。
綽如上人の北国下向に供奉し、勅により井波瑞泉寺が建立された後は 侍頭として瑞泉寺を守護しました。 室町末期、世は戦国大名が林立し大いに乱れましたが、瑞泉寺は浄土真宗(一向宗)の一大拠点として、北陸地域の安定に努めました。 当寺に残る武田信玄、畠山義綱らからの書状の数々が動乱の時代を物語っています。 佐々成政により瑞泉寺は焼失しましたが、関白秀次の命により瑞泉寺は復興の機を得、その際に上田石見守は、藤橋の地に佛厳寺を興したということです。(出典:佛嚴寺由緒記、瑞泉寺由来記、井波町史など) 佛嚴寺の歴史(別説)
初代上田石見守秀綱は信濃国上田城の城主でした。上田石見守秀綱は佐々木京極(佐々木道誉)の血縁であり、天文14年(1545年)の甲越の戦いでは一方の将となり、川中島の戦いにも連戦しましたが、その後、故あって越中に来て僧となり瑞泉寺に入りました。(出典:井波誌など)
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